フィクトセクシュアルやフィクトロマンティックという言葉は、いわゆるLGBTと比べるとあまり知られていません。それもあって、カミングアウトしている著名人もあまり多くはありませんが、最近ではオープンにしている著名人もすこしずつ出てきています。そうした人々の記事や投稿を見ながら、フィクトセクシュアルに対する差別や抑圧についても考えてみたいと思います。
村田沙耶香(小説家)
村田は1979年生まれの小説家で、芥川賞受賞作『コンビニ人間』などで有名です。村田は2025年に、アメリカの雑誌「The New Yorker」の取材のなかで、「わたしにはフィクトセクシュアル(架空のキャラクターに惹かれる性的指向)の傾向がかなり強くあるんです」*1と語っています。また、記事のなかでは、学生時代には現実の人間との性愛を「逃れられない」ものと感じていた経験を語っています。
アクリルフィギュアの話が出たところで、村田は急に持っていたバッグの中をがさがさと探し始めた。「わたしも、いつも持ち歩いているアクスタがあるんです」。彼女が愛するひとりは、「魔法使いの約束」というスマホ向けゲームのキャラクター、2000歳の医師、フィガロだ。大学生のころ、「自分が決して逃れられない現実」として現実の男性と交際しようと努力したこともあった村田だが、20代半ばで自分には「物語のなかで生きている人」たちが幼少期から自分の実際の恋愛と性愛の対象で、フィガロのようにゲームや漫画、アニメーションのなかの人物と生きていることが自然であるなら「現実人間セクシャル」として無理に生きていなくてもいいのだと気がついた。とてもほっとして、「現実人間セクシャル」であろうとすること、恋愛至上主義や性器結合主義が中心となっている世界の一員であるふりをすることをやめたという。*2
小野田紀美(政治家)
小野田は1982年生まれの政治家で、2025年の高市内閣で経済安全保障担当大臣として入閣した人物です。小野田が最初に自身のセクシュアリティについて表明したのは2017年。当時の内閣第一部会・青少年推進調査会合同会議のなかで、ある議員が性犯罪の要因として漫画を挙げたことに対して、小野田は会議のなかで批判しました。そしてその批判についてTwitterで投稿した際に、「ここからは完全な私見ですが、そもそも本気で2次元を愛している人は3次元なんかに手は出しません。私も3次元に一切興味はありませんし対象外です。そういう感覚は当事者にしか分からないのかもですね。」と投稿したのです*3。この投稿は1.2万件以上リツイートされ、ネット上で話題となりました。
2023年2月18日の投稿では、自身のセクシュアリティについて補足説明するリプライで「フィクトセクシュアル、フィクトロマンティックと呼ぶそうですね」と言及しています*4。また、2023年5月14日には、「LGBTの議員立法の審査をした部会」で「差別が全くないかと言えば、無いとは言えない。私自身フィクトロマンティックだが、それを示せば気持ち悪い頭おかしいと言われる事はある」という趣旨の発言をしたとも投稿しています*5。
このほか、2019年4月29日には以下のような投稿をしています。
30超えたら言われなくなるはず、35超えたら言われなくなるはず…!とずっと希望を持って耐えてきたけれども、36歳になった今でもまだ早く結婚しろとか言ってくる人がいるんですよね…。いつまで言われ続けるんだろう…私に結婚の可能性があると思われている事自体が本当に気持ち悪いんだけどなぁ…。*6
以前から言っていますが、私は3次元が恋愛対象ではありません。ネタとかではなく本気でです。私にとって「結婚という可能性を自分に見出される事自体が不快」(リプより引用)なのは、ゲイの方に異性と結婚する事を勧めているのと同じだと思って頂けたら…。セクハラとかでなく、心底不快なのです。*7
また、少子化対策とは、全ての国民に結婚や出産を押し付けるものではありません。産みたくても環境やその他の事情でそれが叶わぬ人の障害を全力で取り除き、望んだ生き方が出来るようにする事だと私は思っています。人口バランスは問題ですが、人がさほど必要なくなる時代はすぐそこまできていますし。*8
一方で、小野田はいわゆる極右的と言ってよい面のある政治家で、排外主義的な主張をしていたり、2022年選挙の際のアンケートで「同性婚を法律に明記すること」に「やや反対」と回答していたりする人物です。しかし同時に、自分のセクシュアリティに根ざした形で、結婚の押し付けや表現規制への反対を表明しているなど、アンビバレントな部分があります。本人の政治的主張への批判も重要ですが、同時に、このような立ち回りをしないと(とりわけ女性政治家は)高い地位に上ることができないという、自民党組織の問題としても考える必要があるのかなと思います。
※小野田の政治的主張に対する批判をしつつ、フィクトセクシュアルだと表明している人物が入閣したことの意義にも言及しているメディアとして、以下の動画があります。
考えるべきこと
今回は2人の事例を取り上げましたが、ここまでの説明から、フィクトセクシュアルやフィクトロマンティックの人々が被る抑圧や差別を見て取ることができます。
2人の事例に共通しているのが、対人性愛を押し付けられるという抑圧です。村田の学生時代のエピソードは、「誰もが対人性愛をするのが当然である」という風潮のもとで生じる圧力を語るものだと言えます。小野田の投稿でも、現実の人間との結婚をすべきという圧力と、それに対する不快感がはっきりと語られています。
また、小野田の投稿に関わる論点として、性的創作物への規制や非難もまたフィクトセクシュアルに対する暴力になりうる、というものがあります。二次元の創作物を批判対象として焦点化するという枠組み自体が、対人性愛を基準とした価値判断になっているのではないか、という問題です。この問題については、以下の記事が読みやすいと思います。
もうすこし学術的な解説としては、以下の講義動画や論考もご活用ください。
これに加えて、カミングアウトがまともに受け止められないという問題も、フィクトセクシュアルにありがちな経験です。たとえば2017年の小野田の発信は、国会議員が自身のセクシュアリティをカミングアウトしたものですが、にもかかわらず小野田に取材をしたメディアはほぼありません*9。また、村田のインタビューも性的マイノリティの観点から注目されているとは言い難いでしょう。
セクシュアルティをめぐる議論では、対人性愛の性的指向だけが、重要な属性だとみなされたり、権利侵害から守られるべきものとみなされたりしがちです。またその際には、「○○セクシュアル」のようなカタカナのラベルがあるものだけが「正当」なセクシュアリティであるかのように考えられがちでもあります。しかしながら、まさにそのような発想自体が対人性愛中心主義的ではないか、ということにも注意する必要があると思います。
本サイトの下記の記事でも、フィクトセクシュアルの被る差別や抑圧について解説しています。「後編」とありますが、ここから読んでも問題ありませんので、関心のある方はご活用ください。
(著:松浦優)
*1:英語版記事の表現は「Fictosexuality is very strong in me」です。
*2:「“普通”の世界をエイリアンの目で見る:小説家・村田沙耶香の実験室」『WIRED』(2025年10月23日取得)https://wired.jp/article/sz-sayaka-muratas-alien-eye/。ただし英語版記事にはない文章が追加されています。
*3:自民党・小野田紀美参議院議員が「犯罪の要因の一つが漫画」との発言に異議 「もっと党内に味方がほしい」 - ライブドアニュース(2025年10月23日取得)。本人の投稿はhttps://x.com/onoda_kimi/status/842175945649799168
*4:https://x.com/onoda_kimi/status/1626908795430670339
*5:https://x.com/onoda_kimi/status/1657603773773250560
*6:https://x.com/onoda_kimi/status/1121456351350099968
*7:https://x.com/onoda_kimi/status/1121550842195107842
*8:https://x.com/onoda_kimi/status/1121551854020648960
*9:数少ない例外として、2017年刊行の『マンガ論争Sp.03』(kindle版が2020年発売開始)のインタビューで、この件についても取材されています。