『Fictosexual Perspective 2025』誤植の訂正とお詫び

本書の紙版にて、編集過程で生じた誤植がありました。著者のれん様および読者の皆様に謹んでお詫び申し上げますとともに、下記のとおりに訂正させていただきます。

訂正箇所:「2025年6月版  性欲の研究」103~104ページ(グレーで塗っている部分です)

らえない」と語るし、またそのような語り方が社会的に通用する(というか意味が通る)ものとして語られているが、私においては明らかに、逆らえないのはこの恥骨のあたりの痺れないし靄であり、それをきっかけとして狭くなる喉および浅くなる呼吸であるように思う。おそらく後者の呼吸周りは性欲を性欲として自覚する場合にその判断材料として使われているとは思うが、それは二次的なものだと思う。あくまで、第一の判断材料としてはこの恥骨のあたりの温度、痺れ、本当に呼び方がわからないナニカが原因であるように感じられる。  ここで語っている記述について、今も私は強く同意している。外見上は確かに、誰かが性欲を抱いている、または発情しているとされるとき、こと男性身体においては、屹立するペニスに目が行くだろう。それは男性身体を持つ者にとっても、またそのように自己を表現しない者にとってもである。しかし、少なくとも、私と共にある男性身体、そしてそこで抱かれる自発性性欲(この限定は重要である)については、その経験をつぶさに観察すれば、恥骨部こそが経験の主軸であるように思えるのだ。ゆえに、男性身体の性欲が議論されるにあたり、ペニスに重心が置かれすぎること、また性欲の表象としてペニスだけを持ち出すことの二つに、私は疑義を呈したいのである。  ここで語っている記述について、今も私は強く同意している。外見上は確かに、誰かが性欲を抱いている、または発情しているとされるとき、こと男性身体においては、屹立するペニスに目が行くだろう。それは男性身体を持つ者にとっても、またそのように自己を表現しない者にとってもである。しかし、少なくとも、私と共にある男性身体、そしてそこで抱かれる自発性性欲(この限定は重要である)については、その経験をつぶさに観察すれば、恥骨部こそが経験の主軸であるように思えるのだ。ゆえに、男性身体の性欲が議論されるにあたり、ペニスに重心が置かれすぎること、また性欲の表象としてペニスだけを持ち出すことの二つに、私は疑義を呈したいのである。  だから、書いたのだ。己の皮膚の内側を、徹底的に曝け出すようにして。このことによって、私が新たに暴力を受ける可能性は高い。匿名の盾はそれほど強固でも無いだろう。しかし、こうした議論が世界に存在すべきであることに疑いは無かった。書くことによってしか、あまりにも「私」でありすぎる「あなた」に、私の存在が知られることもまた無いのだから。もはや私は、ただ本稿が善く利用されることを願うばかりである。執筆の機会をくださった松浦様には深く感謝を申し上げる。  本稿で行った記述に、またその態度に、どれだけの同意が得られるかは分からない。しかし、常態的に性欲を経験し、それに苦悩し戸惑うものが居るのなら、本稿の否定や肯定というその仕方によって、本稿が意味を成すものとなることを願っている。以上である。

訂正前

 

らえない」と語るし、またそのような語り方が社会的に通用する(というか意味が通る)ものとして語られているが、私においては明らかに、逆らえないのはこの恥骨のあたりの痺れないし靄であり、それをきっかけとして狭くなる喉および浅くなる呼吸であるように思う。おそらく後者の呼吸周りは性欲を性欲として自覚する場合にその判断材料として使われているとは思うが、それは二次的なものだと思う。あくまで、第一の判断材料としてはこの恥骨のあたりの温度、痺れ、本当に呼び方がわからないナニカが原因であるように感じられる。  ここで語っている記述について、今も私は強く同意している。外見上は確かに、誰かが性欲を抱いている、または発情しているとされるとき、こと男性身体においては、屹立するペニスに目が行くだろう。それは男性身体を持つ者にとっても、またそのように自己を表現しない者にとってもである。しかし、少なくとも、私と共にある男性身体、そしてそこで抱かれる自発性性欲(この限定は重要である)については、その経験をつぶさに観察すれば、恥骨部こそが経験の主軸であるように思えるのだ。ゆえに、男性身体の性欲が議論されるにあたり、ペニスに重心が置かれすぎること、また性欲の表象としてペニスだけを持ち出すことの二つに、私は疑義を呈したいのである。  第二に、また最後に、私は本稿のその全体を通じて、私自身をあなたに、その内側から提示することを試みた。純白であり得ない身体を引き受けて、そのうえで、なおも「倫理」を志向する存在の告知を試みたのだ。これこそ、私がどうか世界に居てほしいと、願った人間の存在に他ならない。私はこれまで、こうした記述を見つけ出すことが出来なかった。暴力の批判は十分に聞いた。私も、その広い意味で、暴力は減ってほしいと願っていた。しかし、私は、暴力を描いた作品と出会う際に、勃起してしまう身体を持った人間なのだ。この事実が、その自覚が、どれだけ私を苦悩させたか。例えそれが緻密な意味で「性欲」では無いのだとしても、最悪な自己理解の契機となったことは確かだった。私における非暴力の議論は、倫理の議論は、この前提の上に為される必要があった。しかしそれは見当たらなかった。寂しかった。  だから、書いたのだ。己の皮膚の内側を、徹底的に曝け出すようにして。このことによって、私が新たに暴力を受ける可能性は高い。匿名の盾はそれほど強固でも無いだろう。しかし、こうした議論が世界に存在すべきであることに疑いは無かった。書くことによってしか、あまりにも「私」でありすぎる「あなた」に、私の存在が知られることもまた無いのだから。もはや私は、ただ本稿が善く利用されることを願うばかりである。執筆の機会をくださった松浦様には深く感謝を申し上げる。  本稿で行った記述に、またその態度に、どれだけの同意が得られるかは分からない。しかし、常態的に性欲を経験し、それに苦悩し戸惑うものが居るのなら、本稿の否定や肯定というその仕方によって、本稿が意味を成すものとなることを願っている。以上である。

訂正後

後日電子版を頒布する場合には、訂正後のものを頒布いたします。