セミフィクトセクシュアル
歴史の記事で解説したように、「フィクトセクシュアル」はもともとアセクシュアル・コミュニティから生み出された言葉で、生身の人間に性的惹かれを抱かないことを表すものでした。しかしマスメディアやウェブ記事などで、アセクシュアルの文脈が忘れられたまま紹介された結果、現在では生身の人間に惹かれる人でも、キャラクターに「ガチ恋」している人であればフィクトセクシュアルと呼ばれることがあります。
一方、英語圏のコミュニティでは、生身の人間と架空のキャラクターのどちらにも惹かれることを表す用語として「セミフィクトセクシュアル」(semi-fictosexual)が使われることがあります。「semi」は「半分」や「準」という意味の接頭辞で、訳すとすれば「半虚構性愛」や「準虚構性愛」となります。
すこし細かい補足
セミフィクトセクシュアルも当事者たちの間で草の根的に使われ始めた用語ですので、厳格な定義があるわけではないですが、大きく2つの使われ方があります(どちらで使っているかは人それぞれです)。
ひとつは、現実の人間にまったく惹かれないわけではないが、どちらかというと現実の人間に対してはアセクシュアル寄りだ、というニュアンスです。こちらはアセクシュアル界隈で見かけることが多い用例で、要するにグレーセクシュアルのバリエーションとして捉えるものです。
もうひとつが、いわば現実と虚構の「バイ」セクシュアルという感じで、どちらにも惹かれるというニュアンスです。こちらの場合はアセクシュアル的な含意はなく、マルチセクシュアル(multisexual)のバリエーションとなっています。
そもそも「フィクトセクシュアル」は何のための言葉なのか
ここまでの説明に対して、「現実の人間と架空のキャラクターの両方に惹かれるというのは、普通のことではないのか」と思う人もいるかもしれません。ある意味ではそのとおりでしょう。ですがここで重要なのは、そもそもフィクトセクシュアルという言葉は何のためのものなのか、ということです。
フィクトセクシュアルは、対人性愛を前提とする社会に対する問題提起のための言葉です。対人性愛規範的な社会のなかで、自分のあり方をうまく言い表すことができなかった人や、差別や周縁化を経験してきた人が、自分のあり方や経験を説明するために生み出した言葉なのです。セミフィクトセクシュアルもまた、そのような人々のための言葉であるということを、理解しておきましょう(逆に言えば、そうした問題提起がまったく必要ないと思う人は、わざわざフィクトセクシュアルやセミフィクトセクシュアルと名乗る必要はないでしょう)。